破片

leomorimoto2004-04-01

藤村さんのベン図a,bの違いによる所属意識の変化が、個人的には一番考えさせられる点でした。

ベン図a bというのは、A∩B(同心円形)なのか、A∪B(五輪マーク形状?)

テニスサークルでの自分、バイト先での自分、大学での自分、昔の友達と一緒のときの自分、というように、最近自分の中であまりにいろんな側面があるなーと思っていて、以前は自分というものがもう少しまとまりがあったような気がしていて、どんどん分散、崩壊するような気がしています。それがなぜなんだろうか、と思ってたところがありました。それは単純に現在よび名(ニックネーム)がたくさんある、ということにも現れているかもしれません。わたる、もりも、レオさん、もりもと、さらに、最近出現のもりもり。WEBとかになると、もっと増えますね。

五輪マーク形状のbが現在の自分を表すのに当てはまると思います。で、いろいろな所属を経験すればするほど、ベン図の円はたくさんになり、また薄れていく円もある。なぜだかよくわからなかったことがもしかしたらこのいろいろな円の重なりによって表現できるんだなあと思っております。。


発展的に。


所属意識の話だったと思うのでずれていることかもしれませんが、いちばん「自分らしい」ということを表わそうとすると、それは重なり合うA∩B∩C∩Dのエリアにあるようなものとは少し違うのではないかという気もします。そんなすべてが重なり合うような部分が存在するのだろうか、ということで。まったく関係ない二つの所属って、ありませんか?

実際ABCDのそれぞれの円は重なっていたりいなかったりする部分があって、その時々の時間によって「おたがいに離れた円群」を行き来する、というのがそして、一番落ち着くのが家にあるたくさんのスニーカーを眺めている時間だったり、似顔絵を描くにあたって線と格闘している時がいちばん集中している時間だという気がしていて、それはどこにも属さない、という特徴があるような。また、どこかに所属しているということがたくさん増えてくるといろいろ見えにくくなってきて、いちばん自分らしいというところが発見しにくくなる、といえるような。

二次元と三次元、シンプルとより実際に適した応用とでもいうか、ベン図が二次元だとして、今考えたことは三次元的にベン図の円(球)があるとして、その球群と、その球群どうしをつなぐ線と、まったくどこにも線でくっついていない状態で浮いたようなもっとも「自分らしい」コアの球。

こんな惑星だか分子構造のような建築、コンペでちょっと思ってた、そういえば。