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35歳までに迷いを断ち切れ
AERA4月 6日(月) 13時16分配信 / 国内 - 社会
――転職、結婚、出産。
どれも35歳を過ぎると、ハードルが上がる。
ビフォー35歳(B35)は35の壁を前に、
何を優先すればいいか迷う。――

 その日は朝から、電話も鳴らなかった。四つの机と接客スペースからなる小さなオフィスは、いつも以上に静かだった。
「いったん、事務所を閉めようと思うんだ」
 司法書士のケンジさん(30)が切り出すと、事務所を共有する会社経営者の友人もうなずいた。苦しい状況は、お互いにわかっていた。
 20代の頃、ケンジさんはとにかく稼げるようになりたかった。大学時代はトラックの運転手やカード会社のアルバイトをし、月収が50万円近くあった。それをネタに就職活動を行うと、都市銀行から内定を得た。
 任される客や配属される支店を見れば、自分の評価がわかる。上司にも取引先にも可愛がられたが、入社して2年した頃、迷いが生まれた。このまま会社に与えられたレールの上を歩いていて、いいのだろうか?
 何か新しいことをやりたいと思ったとき、司法書士に興味を抱いた。昔から、思い立つと止められない。周囲の反対を押し切り、2年2カ月で退職した。
 予備校に通い、毎日10時間以上勉強した。馴れ合いになるのが嫌だから、予備校では友達も作らなかった。一服の時間がもったいないからたばこもやめた。それでも、合格率3%の難関資格は甘くない。27歳で2度目の試験に落ちたとき、銀行の一般職として働く同じ年の恋人にこう言われた。
「あんたのせいで私の人生めちゃめちゃよ」
 結婚を焦る彼女に泣かれ、フラれた。
 29歳のとき、4度目の挑戦でついに合格、これですべてがうまくいくと思った。
 だが、本当に大変なのはそこからだ。独立して事務所を構えたものの、当てにしていた銀行時代の人脈からは仕事がもらえない。交通費をかけて会いに行っても、「無料相談」で終わってしまう。

■「もう一度勤めて」と妻

 昨年、司法書士として得た収入は300万円。ほとんど経費で消えた。生活のために午後6時に事務所を閉めた後、夜11時までバイトをする毎日だ。
 自分一人なら、軌道に乗るまでふんばり続けられる。だが今年、派遣社員の妻(30)と結婚したことで迷いが生まれた。
「こんな状況では、子どもも持てない。再就職するなら、今しかない」
 銀行を辞めて以来、自分の市場価値を知るために転職サイトに登録していたが、提示される条件は、どんどん厳しくなる。先日、久々に会社を紹介された。一部上場企業の法務部だった。面接を受けると、内定が出た。提示された年収は500万円に届かず、銀行に勤め続けている同期には到底及ばない。だが、妻は言った。
「もう一度勤めて欲しい」
 独立はいつでもできる。だが、今就職しなかったら、5年後はないかもしれない。10年経ったら、もう後戻りはできない。妻と朝の5時まで話し合い、再就職を決めた。

■成婚率は35以降急減

 正社員でもリストラの対象になる今回の経済危機。会社で生き残るため、会社を離れても生き残れるように、資格取得を目指す20代30代が再び増えつつある。司法書士のような難関資格であればあるほど、取得さえすればなんとかなると思っている人も少なくない。
 だが、『年収2000万円の仕事術』などの著書がある柴田英寿さんは、資格を持っているだけでは意味がないと指摘する。
「持っているだけで稼げる資格は存在しない。大切なのは、実務経験やコミュニケーション能力、人脈であり、それは机の上で勉強したからと言って身につくものではない。今の30代には考えてばかりで頭でっかちな人が多いような気がする」
 女性の場合、30代前半はさらに複雑な年齢だ。結婚や出産もちらつく。結婚情報サービス「オーネット」の担当者はこう話す。
「男性が女性に求める条件は容姿と年齢。35、36歳の男性会員の多くが求めるのが30、31歳までの女性。それ以後は緩やかに減少し、35歳以降は大きく減少する。成婚率も男女ともに35歳を境に下がる。真剣に結婚を考えるなら、先送りにしないほうがいい」

■当分保留でいたい

 百貨店で働くヨウコさん(31)は、今年の課長試験は見送ろうと思っている。
 28歳のときに6年間交際した彼氏と別れた。それまでは結婚したら退職して、彼の実家の家業を手伝うつもりだった。人生プランが大きく変わった。
 以来3年、「きちんとした」彼氏がいない。3人きょうだいで育ったので、子どもは3人欲しいからできれば早く結婚したい。最近は合コンにも疲れ、男友達に紹介を頼んでいるが、決め手になるような人はまだ現れない。
 今の会社に一生勤める覚悟もない。仕事は楽しいが、会社の都合でいつ異動になるかわからない。海外支店での勤務を希望しているが、不景気の今、希望がかなう可能性はゼロだ。
 本当は、物書きになりたかった。今年はシナリオライターの講座に通うつもりだ。
「うちの会社は“産まなきゃ損”というくらい、産休や育児休業の制度が整っている。仕事も恋愛も、どこかで腹を決めなければいけないと思っているけれど、もうしばらく保留でいたい」
 迷いなど捨て、目の前のことに没頭できたらどんなに楽だろうと思う。でも、どうしたらいいのか、よくわからない。

■年収100万減っても

 ユウジさん(32)は就職以来、ずっと迷いを抱えてきた。
 新卒で入社した美容関連企業はしがらみが多く、長く勤める雰囲気ではなかった。いつか辞めようと思いながらもきっかけがつかめずにいたとき、交際していた後輩の女性に言われた。
「あなたなら、もっといい会社で働けると思うんだけど……」
 当時の年収はおそらく350万円程度。忙しさのわりには少なかったが、実家暮らしなので給与はすべて自分の小遣いになる。ユウジさん自身は不自由を感じたことはなかったが、“二人の将来”を考える彼女は、不安を感じたようだった。
 彼女に背中を押され転職活動をすると、数社から内定を得た。29歳で一番条件のよかった医療関連の会社へ入社を決めると、彼女も喜んでくれた。
 傍目には順調な転職に見えたと思う。新企画を立ち上げ、入社1年目で社長賞をとって年収は650万円になった。しかし、肝心の仕事内容にいつまで経っても興味が持てない。「グロテスクな」病巣の写真を毎日見ているうちに嫌気が差してきた。
 昨年、彼女と結婚すると同時期に、ファッションの業界紙を発行する現在の会社に転職した。年収は100万円以上少なくなり、妻には申し訳ないと思っている。ただ、優秀な先輩たちはよい条件で他社に引き抜かれている。ここで頑張ることが次につながると告げると、妻も応援してくれた。
「これまでは会社に不満を持ち、“いつか辞めよう”と思いながら働いてきたが、今は好きな仕事ができる。しばらくは転職など余計なことは考えずに、目の前の仕事に取り組みたい」
 転職市場では「35歳限界説」が定説だ。労働基準法の改正で、求人広告であからさまに年齢を条件に出すことは少なくなったが、35歳を境にハードルは一気に上がる。
「35歳以上の求人の9割はマネジャー職。よほどの専門性がない限りプレーヤーとしてよい条件で転職することは厳しい」(転職情報サービス企業の担当者)

■余計なことを考えない

 サトシさん(36)は、自分の仕事は「職人」のようなものだと思っている。24歳で編集者になって以来、一生この仕事で食べていくつもりで働いてきた。当時勤めていた情報誌の会社を辞めようと思ったこともなかった。
 周囲からは「若手のリーダー」と見られ、33歳のときに採用にかかわるように。中途採用の応募者には30代後半や40代の人も多かったが、よほどの実績がない限り、35歳以降に興味がわかない。採用にかかわる誰もが、「どうせなら若い人と働きたい」と思っていた。そのとき初めて、自分もギリギリの年齢だと気がついた。
「今転職するか、一生この会社にいるか」
 迷った末、34歳のときに大手出版社の面接を受けると、あっさり採用された。それまでの制作物を評価されたらしい。620万円だった年収は、900万円を超えた。
「33歳になるまで、会社を辞めたいとか、余計なことを考えたことはなかった。だからこそ仕事に集中できたし、いいものが作れたのかもしれない」

■与えられた仕事に没頭

 人材紹介事業の毎日キャリアバンク代表取締役社長の山本智美さん(38)は、こう話す。
「与えられた仕事に没頭することでしか、壁を破ることはできない」
 20代の頃、山本さんは編集者になりたかったが、営業部に配属された。最初は不満だったが、トップの成績を残すほど没頭した。30歳で憧れの編集職になるが、思ったように本が売れない。1年ほどで、当時社内では誰も注目していなかった人材事業への異動を命じられた。
「なんで私が……」
 本気で会社を辞めようと思ったが、初めて契約がとれたとき迷いは吹っ切れた。わずか1年半で事業の責任者となり、4年後36歳で社長に抜擢された。
「自分は編集に向いている、というのは単なる思い込みでしかなかった。キャリアは自分だけで作るものではなく、周りから作られていくものだと思う」
 迷いを吹っ切るのは簡単ではない。でも何かに没頭し、達成感を得られなければ、ずっと悩み中毒から抜け出すこともない。
(文中カタカナ名は仮名)
(4月13日号) <<